2021-05-20 第204回国会 参議院 内閣委員会 第20号
また、先ほど御質問のありました中で、調査という用語についてでございますが、先生御指摘のとおり、遺骨収集については、一般的に、文献調査の結果を踏まえ現地調査を行いまして、戦没者の遺骨の存在が確認された場合に遺骨収集団を派遣しております。ただ、トラック諸島の場合は、もう既に複数の沈没艦船について遺骨情報があるため、現地調査は行わずに遺骨収集団を派遣することを予定しております。
また、先ほど御質問のありました中で、調査という用語についてでございますが、先生御指摘のとおり、遺骨収集については、一般的に、文献調査の結果を踏まえ現地調査を行いまして、戦没者の遺骨の存在が確認された場合に遺骨収集団を派遣しております。ただ、トラック諸島の場合は、もう既に複数の沈没艦船について遺骨情報があるため、現地調査は行わずに遺骨収集団を派遣することを予定しております。
この取り違え問題が生起した結果、報道によりますと、先月下旬に予定されていた日本の遺骨調査団の派遣がロシア側の意向で中止になったとか、それから、長年、国の遺骨収集事業に協力してきた日本のNPO法人、日本青年遺骨収集団、この皆さんも当分の間、事業への参加の中止をすることに決めたということで、今後の遺骨収集に多大な影響が出る可能性が指摘されております。
お尋ねの戦没者遺骨引渡式は、遺骨収集団が送還した戦没者の御遺骨を厚生労働省に引き渡す場であり、戦没者遺骨収集に関係する団体の代表者、政党代表及び関係国会議員、御遺族、戦友の参列を得て、帰還した御遺骨を丁寧にお迎えする式典と承知をしております。 戦没者の御冥福をお祈りし、そして尊崇の念を表することは極めて重要であると考えております。
なお、昨日帰国いたしました遺骨収集団が持ち帰りましたものが三百十二柱ございまして、これを加えますと一万二百五十一柱を収容したということになります。 現在、オーストラリアの国立公文書館等から取得いたしました日本人戦没者の埋葬地に関する情報等を基にしまして現地調査を実施しているところでございまして、何とか私どもとしては、これを遺骨収集につなげていきたいというふうに考えております。
また、明日帰国予定でございますが、今年度の遺骨収集団、こちらの方で三百十二柱を収容してくるということでございまして、これを加えますと一万二百五十一柱を収容したことになるという状況でございます。
実は、私、けさ、東部ニューギニアからの遺骨収集団のお迎えに行ってまいりました。本当に、私は、産婦人科医として人工妊娠中絶というのを扱っている以上、この問題について、やはり遺骨をお迎えするのが私の仕事でもあるなというような気持ちで行ってまいりました。 きょうは、人工妊娠中絶ということについてお伺いをしたいと思います。
ただ、それが当然北朝鮮としてみれば、ここにおいて、ストックホルム合意で、いや、それはもうストックホルム合意について我々は誠実に履行しているではないか、その一環として今回の遺骨収集団を我々として迎えるではないかと。だから、このストックホルム合意というのは有効で、一つ一つ誠実に履行しているんだという進展をアピールするための材料にされるのではないかという思いがあるわけです。
遺骨収集団の方々が厚生労働省の職員の方に御遺骨を渡されるときに、非常に万感胸に迫るような感じで、もう目を泣きはらしてお渡しをされておられました。見ておりました私も、本当に感きわまるような感じになりましたけれども、こういうふうな国のために亡くなった英霊、こういった方々の思い、あるいは名誉、誇り、こういったものを取り戻していかなくてはならないと思います。
○藤田幸久君 同じこの堀内先生の本によりますと、この千鳥ケ淵の墓苑の意味というのは、いわゆる軍人軍属以外の戦没者あるいは遺骨収集団が収集した御遺骨を含む民間人の御霊を慰霊する墓苑であると。
厚労省は、予算もとって、日本の国外の、私も外務大臣政務官をやっているときにラバウルに行きまして、日本から来た遺骨収集団の調査の、記念碑とかを拝見しましたけれども、要するに、国外の遺骨収集、当然やっていいんですよ。
私も、日本青年遺骨収集団、現在のJYMAに若干関係しておりますので、海外の遺骨を収集するためには、言葉の障壁やあるいは遺骨に対する文化、慣習の違い、国民感情、そして現地の過酷な気候など、多くの困難を乗り越えなければならないということを多少は知っているつもりであります。
実は、今回の遺骨収集団、四十五体をお連れ帰ることになりましたが、もともとは民間人から寄せられた情報です。常に民間が厚労省にお願いする。まず民間の人が、やむにやまれず情報を集めておられます。そのことは大変に貴重なことですし、しかしながら、またさまざまな、例えば、どなたの骨であるか、場合によっては動物の骨か、いろいろなものが混入してまいります。
○阿部(知)委員 私も実際に、例えば昨年の一月、ちょうどことし三月に厚生労働省の遺骨収集団が派遣されましたフィリピンのセブ島に参りまして、御遺骨の眠られる状況を拝見してまいりました。その中で、私も、昨年も、またことしのこの遺骨収集団の報告を受けても感じますことは、まずやはり内閣を挙げての取り組みをしていただきたい。
近年、厚生労働省が遺骨収集団を派遣いたしまして遺骨収集をいたします際に、同行あるいは立ち会いという形で、遺骨鑑定人に参加いただくという場合が多いわけでございます。 この経緯でございますけれども、平成七年度からは東部ニューギニアにおきまして、また平成十一年度からはインドネシア、平成十四年度からはフィリピン及びマーシャル諸島におきまして、遺骨鑑定人の立ち会いを実施しているところでございます。
私がかつて所属をしていましたJYMA、日本青年遺骨収集団が現在厚生労働省の派遣で硫黄島へ行っております。そこから、硫黄島からはがきが来まして、今回は二十柱の御遺骨を収骨することができたというような、その結果の報告が来ております。
○尾辻国務大臣 まず、先生御自身が日本青年遺骨収集団として何回も遺骨収集に行っていただきましたことに、感謝を申し上げたいと思います。 私も、それこそ何回も遺骨収集にみずから行っておりますから、現場、現状というのはよく承知をいたしております。そうした中で、遺骨収集、お答え申し上げましたように、私も大臣をさせていただいたのですから、きっちり道筋だけはつけておきたいというふうに考えております。
私が今お手元にお渡しいたしましたのは、実は、現在、三月十二日から二十三日の間に、インドネシアのビアク島というところに遺骨収集団が行っておられますが、昨年、同じ島に行かれました遺骨収集団が発見されたものでございます。そうして見ていただきますと、非常に古いもののように、確かに五十数年前のものでございますが、そのような形で現在なお発見されるような状況に多くの遺骨が置かれておるということです。
そしてまた、一柱でも多くの遺骨を本国に送還することは関係遺族の強い願いであるとともに、遺骨収集団の派遣や外交ルートを通じての働きかけなど、今後とも鋭意取り組んでいきたいと思います。
具体的に、現在、民間の方々としては、財団法人の日本遺族会、日本青年遺骨収集団、慰霊事業協力団体連合会、このような団体の協力をいただいておりますけれども、先生御指摘のような場合につきまして、関係者から申し出がございますれば、その内容から適切な遺骨収集が可能と判断されたときには、派遣団の構成などを勘案の上、適切に対処してまいりたい、こう考えている次第でございます。
遺骨収集団というのは至るところへ行きました。その結果として収集した遺骨を今おさめてある、そういうことですから、これはまたすべての戦没者が祭られているわけではない。 それで、行ってみて驚いたんですが、ちょうど先週の雨の中でした。六角堂というお堂がある。広さからいうと、この部屋より狭いでしょう。
その後、五十六年から大体二年に一度ずつぐらい遺骨収集を行っておりまして、先ほど申し上げましたように計十六回、そして遺骨収集団によります遺骨の収集というのは約一万六千七百五十八柱というような状況になっております。
これまで、政府としては、遺族会や戦友団体または抑留者団体の御協力も得ながら、四十八年間にわたり約三百回の遺骨収集団を派遣して、約三十万柱を日本へお迎えしているわけでございます。
まず、硫黄島における遺骨収集の現状につきまして、先生がただいま御披露されましたように、昭和二十七年以来延べ四十一回にわたって遺骨収集団を政府において派遣いたしております。ただ、残念なことに現在のところ、戦没者概数は二万一千人いらっしゃるわけでございますけれども、現在まで祖国にお迎えすることのできました御遺骨は八千七十八柱、約四割にとどまっているわけでございます。